自分が後々読むための黒歴史特別公開処刑場

たのしかったぁ

心の底から馬が合うと思う友達はいいなぁ大好きだ。

 

私が意見するときは丁寧に聞いてくれて話を広げてくれて、相手が意見してくれる時は丁寧に聞こうと思えて話を広げようと思える。

各々が広げてくれた展開の先で、各々が自分にとって良いものに気づける。

これが馬が合うってことだと、今のところは思っている。

 

こういう人と死ぬまで連んで行きたい。

こういう人とは友人関係でありたい。友達だったら関係が切れるリスクが少ないから。

 

どっちが先に死ぬんだろうなぁ。

まあヤツだろうけど。

 

じゃあ恋人とか旦那ってどういう人だと良いんだろう。

 

おやすみ、明日も金稼ぎ、頑張ろう。

ゆらゆら帝国で考え中

大好きなゆらゆら帝国のベーシスト亀川さんが亡くなってしまった。昨日から、ずっとゆら帝を聞いている。

悲しい時もイライラする時も無感情なときも、ゆら帝を耳にぶち込めば気持ちが「かっっっっけーーー」の1つになる。

昨日も変わらない音。変わらず「かっっっっけーーー」となったけど、涙が出た。

 

ただただゆら帝をこの目で見たことのある人生でありたかった。

 

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昨日の夜のショックで朝の5時までただただゆら帝を聴きあさり、今はしっかり寝不足。

友達と2杯だけ飲んですぐ解散した。

家までお酒を飲みながら「ひとりぼっちの人工衛星」を聞いてポツポツいろいろ考えた。ゆらゆら帝国で考え中。

 

 

恋人という存在と全てを分かり合う必要はないこと。どんな時間も一緒にいたいと思えるわけではないこと。

 

死ぬまで味方だと確信していた親友にも理解できないことはあること。どんな時間も一緒にいたいと思えるわけではないこと。

 

衝突や違和感をほとんど感じないような他者が居ないとは経験上言い切れないこと。そもそもそんな経験が今のところないこと。現状の到達地点ではまだ経験してきた人間関係が少ないのかもしれないこと。

 

ただ生きるだけの金(税金/家賃/食費)を稼ぐ時間を全て解放したらどう時間を使ってやろうか。

 

孤独感は楽観的に捉えることも可能なこと。そしてそう捉えることができた時の幸福度はかなり高いこと。

 

友達が少なくても意外と寂しくないこと。

誰も私に注目していなくたって寂しくないこと。

 

どうしても均一に過ぎ去る時間や世間のマジョリティに圧力を感じて生きることは何の意味も為さないこと。

 

心に余裕があることが最強であること。そのためには時間と金をうまく運用する必要があること。

 

自分か自分以外かのところにくっきりと境界線が引かれるような心境になると

物理的に0距離の人間も、10年以上付き合い続けてる秘密のない経過年数の長い人間も、生命体として血の繋がりがある神秘的な人間も、すごく遠く遠く距離を感じる。離してしまう

 

こういう時に1番近くにいてくれるのは自分の手の内の現実世界ではなくて、音楽なんだ。たった今目の前で鳴らされてる音でもなく、何ならとっくの昔に解散した、何ならもうこの世にいないメンバーもいるバンドの、90年代にリリースされた、録音されて、加工されて、サブスクで流されて誰もがいつでも聞けちゃう「音の塊」が1番私の近くで寄り添ってくれる存在なんだ...

 

この音の持ち主、ミュージシャンは私のこと認識してないからこちらからの一方的な共鳴に留まるけど、それでも1番近いんだ、それだから近いのかな。

 

こうやって小さな世界で同じような生活の中と同じような心の波の中で、同じことをぐるぐる考えて、言葉を変えながらいつも同じことに気づいては忘れてる。滑稽だろうな。

生きてくぞ。

 

‎ひとりぼっちの人工衛星 - ゆらゆら帝国の曲 - Apple Music

 

 

 

 

 

東京が好きなの

ストレス社会、日本東京。

上司としこたま社長と会社の愚痴を汚い言葉を使って吐いた。

会社の金で肉と酒を胃に入れて解散した渋谷の夜。睨みつけながらドカドカ闊歩して思うこと。

 


Apple Musicシャッフルで爆音で耳に流れ込む、いつもの3.5倍良く聞こえる大好きな音楽

chocolate/The 1975

感覚的にNG/ZAZEN BOYS

ピーターへ愛を込めて/Galileo Galilei

Past Life/Tame Impala

 


・身長も顔も良くないのに流行りの安いちゃっちいファッションに身を纏い自信ありげな若い男と女

 


・どこの雑魚がどのツラ下げてこの私に声かけてんだって思える最強精神。数秒黙って目を合わせるだけで何処かへ居なくなる滑稽さ

 


・こういうただのナンパ師によって多少の自己肯定感が上がってしまう自身の滑稽さ、未熟さ

 


ニューバランスのスニーカーを脱いでホームの椅子に座れずもたれかかって体重に身を任せている、いかにも「これがJAPAN」と海外受けしそうな様子の泥酔青年

 


私はこういう未熟さが好きだ。混沌さが好きだ。少し飲んだ夜の帰路がたまらなく好きだ。まだ

 


いつか飽きるのかな。私はまだ好きだ

 

1年前のワシへ。こんなかんじです

自分と他人と関係と金と時間のことばっか考えてる。考えすぎてる。好きで考えてるのか不安解消でやってるのか、そもそも必要なことなのか分かんないで情報の海で溺れたり、それを自覚したり、意識的に脳を動かす努力をしたりしている。

 

具体的に生活の中で体験した事象を挙げていけばなんで自分がその気分/感情に至っているのかは理解できる。すごく細かな視点で一つ一つを考えてみながら、そういう思考と行動をしている自分自身が何なのか考えさせられてしまいます。そうすると客観的になって抽象的なことを考えたり。そうなってくるとまた気分も変わってしまいます。

 

このあたりの脳内会話(ソロ)を恋人に公開してみると考えすぎだ真面目すぎると呆れられる。私は全然真面目じゃない。そんな彼に初めて会ってから今日で1年でした。1年前の今頃、元カレとの決別ストレスを20杯くらいの酒で洗おうとしていた。もうそろそろ記憶がない時間に差し掛かるな。

こうなってるとは思わんやろお前は。全てが新しい1年だった。新しい環境の中で何一つ変わらない私は、私の中の欠陥を認めて何かしらの方法で補う術を模索している所だよ。

そいつは何だかんだいい奴だと思います。

 

恋人1人と友達2人くらいとの関係と仕事と金と時間のこと考えるだけでキャパオーバー。一つ一つ感情がデカすぎて制御が難しい。たった今を切り抜いても喜怒哀楽のどれかに収まらない。哀1/哀2/怒A/怒B/喜1と見せかけた怒C...

ずっとこのシナプスを携えて生きてる、本当に昔からこう。この性格形成の根源は何かとかまで考え出すと止まらなくなる。疲れて落ち込む!

 

内心は相変わらず情緒不安定。

無駄が多く非効率的だなと嫌悪したり全てが必要不可欠だと愛したり忙しい。1回そろそろ愛してあげたい

 

というわけで明日slowdiveで脳を洗ってきます。

シューゲイザーとインストが酸素です。

 

PS

軽く過去の記事覗いたけどずっと病んでて草!冷静に、たった今は禁煙補助薬のせいもあります!

 

意識的に生活したい今日この頃

この情報で溢れてる社会、「見たくないものは見ない!見たいものを見る!」これが今改めて大事なんじゃないかというフェーズに来てる

 

でもなかなか難しい。SNSのアイコンをタップするのはもう脊髄反射でやってる現代人。

最近特に知り合いの生活がのぞけてしまうInstagramが苦手。例えば、大学繋がりの知り合いの生活に元彼が1回でも投影されたら速攻ミュートしてる。自己防衛。ロマンチスト的考えで私が知ってる結末以降の奴は本当に見たくない。世界線が違うから絶対私の視野に入らないで欲しい。こうやって友達がどんどん減ってく。友達は少なくて全然良いんだけど。

 

なんで20代前半はあんなにたくさんのコミュニティを飛び回ってたんだろう。今の私だったらその動きは精神的にあまり良くないものな気がする。

毎週末に同じ恋人と喜怒哀楽を共有するだけで割と満足しているからなのかな。「歳とったな」と「いやいやまだまだ!」の狭間なう。27歳。

 

特段話題があるわけではないけど、最近都市伝説だの陰謀だののYouTubeをよく見るせいで若干スピってた。でもさっきなんかプツっと飽きた。

この世界には宗教とかスピリチュアル的なものを介した考え方とか物事の捉え方があるんだなぁとハイパー現実主義者は新鮮に思いました。そういう思想に取り込まれて自我がなくなるまで没頭したくはないけど、好きな自分を保ったり、好きなことの本質を見つけるヒントとして触れてみると面白いなという感想。

 

元旦の地震で「人工地震」がTwitterトレンド入りしたことをきっかけに、陰謀論にハマる子供が多いとニュースで取り上げられていた。それに対する議論の中で「現代人に創造力がなくなったから」って意見が面白かった。

今のワンピースが科学VS宗教で対立してるという見解も面白い。

 

こんな感じのコンテンツに触れながら、何となく行き着いている所感が、習慣的に流れ込む情報に対して受動的にならず、能動的に自分の行動を選択していきたいなぁというものです。

デジタルから遠ざかって、五感を全力で使うことを意識するのが今年の目標の1つ。

 

界隈では2025年7月に隕石だの大災害だのと騒がれてるみたいだけど、そういう話で盛り上がって焦っても、そもそも1秒先ですら生きてるかどうか分からないってことが私たちの揺るがない事実では、と思いました。

 

元旦に大地震がくることを誰かは知っていたのかな。神様はいるのかな。宇宙は誰かの脳内なのかな。 ...まあそんな考え方をしてみるのも面白い

 

恋人からおやすみ電話が来たので、私は現実的な固い考え方で視野が狭いかもしれないと話した。結局まじめにコツコツリアルを生きてるのが賢いと言われて安心した。

彼は楽観的で空想的で逆に現実を直視していないと思うので私たちは真逆だ。真逆だから意見交換が楽しい。loveless状態は一旦解消

 

私はまず私の穏やかな明日を迎えられますように。おやすみ。

loveless

くるりlovelessを聞いてる。一言一句に励まされている。

 

「愛はどこでも 消えない気持ち懐かしむこと 慈しむこと許し合うこと 見えないことも見ようとする強い気持ちのこと」

「散らばった愛を まとめる時間に振り回されないで いいのさ」

「悩みはつきないな でもそれくらいのほうが君の気持ちが全部 わかるんだ」

 

lovelessの意味を調べた。「愛情のない」「愛されない」。なるほど

愛って何だ、今までどういうもんだと思って生きてきちゃったんだっけ。私は今漠然とloveless状態。

 

どこでも消えない気持ち、懐かしむこと、愛しむこと、許しあうことは出来ていないだろうな。見えないことも見ようとする強い気持ちとは何だろうな。

困るなぁ、ずっと元気がない。こんな感じだったんだっけ私。酒を飲む気にもならないな。

 

何をしたいんだろう。27にもなって何も掴んでいない錯覚をしている。ストレスのない人生のために能力も金も人望も愛も美しさも強さも脆さも必要か、大変すぎるだろ。

早く桜が咲けば良いのに。桜が咲く頃にはこの生活も景色も明るくなるかしら。

 

低迷した状況に、無欲な物体みたいな身体が、見たくもない世の中の情報によってぐるぐる振り回される。

絶対友達のインスタは見ない。みんなどうせ人生楽しいんだろ。羨ましい

 

 

「散らばった愛を まとめる時間に振り回されないで いいのさ」

「悩みはつきないな でもそれくらいのほうが君の気持ちが全部 わかるんだ」

 

大丈夫だよ。。ずっとこうなわけない

 

 

 

2023年最終日

日付が変わって2023年最終日

音楽をやっている友達が、「特別に」と明日公開するアルバム音源を私に送ってくれた。

その自慢話をしようと思う。

 

彼らのライブに最後足を運んだのは2020年7月19日。コロナ禍。下北沢のライブハウス。それ以降は足を運べないままボーカルが音楽に疲れて停滞してしまっていた。

バンドメンバー全員と友達だけど私は特にギターと仲がいい。親友。

そいつからは2年間くらいずっっっとボーカルへの片想いみたいなやり場のない気持ちを私によくぶつけてくれていた。酔ってる彼からは必ずその話を聞いていたと思う。

その背景もあってか、私の知り合い達の作った音だからなのか、曲を再生して冗談抜きで手が震えた。私は今日は酒を飲んでない。

2020年7月19日は雨続きの中久しぶりの晴天だったことを思い出した。「俺は晴れ男だ」とよく聞いてた台詞を確信した日だったのを思い出した。コロナ禍で仕事で恋愛で気持ちが滅入って彼らの轟音に浄化されたことを思い出した。

なので手が震えた。音の記憶は凄まじい。気持ちの大きさで肉体が動くという現象も凄まじい。

 

ああこれすごく懐かしい感覚。創造を諦めない人への憧憬。嫉妬に近い感情。

 

私は歳をとって尚更人生の失敗が怖くなっている。だからこういう尊い人達の存在は更に遠のいてしまった。正直自分から避けている部分もあると思う。

だから、今もこうやって与えてくれる人が私と繋がってくれていることが嬉しくて仕方ない。こうやってまだ感覚を思い出せることで自分の切り捨ててきたものを思い出す。必ずしもポジティブな気持ちでは無いけど、忘れてはいけないもののような気がする、本当に大切なものだと思う。

久しぶりに思い出せたなあ。

 

少し話は逸れるけど、自由で創造的で子供でありたい自分と、確実に正確に大人でありたい自分、私はどちらも持ち合わせているけど後者の状態で保守的に生活する時間が増えている。1番簡単な方法だとアルコールで前者になれる。

昨日は久しぶりに終電を逃してみた。2時過ぎにはどこから集まってきたのか分からない若者がガヤガヤ話していて、DJの前で酒焼けしてる22歳の女の子が踊り狂ってる薄暗い小さい空間にいた。懐かしい思いと非日常を感じた。

その空間でタトゥーまみれの友達におすすめの曲を聞いたら意外と堀込泰行だったりする。

保守的な私はどちらかと言えば真面目で固苦しい人間に部類されるから、そうではない人にやっぱり憧れと敬意がある。ツマンナイ人間になりたくないからある程度の真面目さは壊してほしいと思う。

 

日常の退屈さを非日常で刺激して、非日常での違和感を日常で安らげているんだな。私にはどちらも必要。どちらの要素にも感謝。

真面目すぎず不真面目すぎず多種多様の世界観に理解できる1人間になりたい私は。親友が何年もかけて作った音楽を聴いて自分の根っこを思い出すような2023年最終日。素敵じゃないですか。という自慢でした。

 

私の視野と感覚と感情を広げてくれてどうもありがとう、私が憧れるかっこいいみんな。私はみんなみたいにはなれないけど、なんだか自分の生活からは得れないちょっと痺れる毒みたいな栄養、パワーを貰ってるんだよ。私以外にもそんな人がみんなの周りにいるよ。

色んな人それぞれに、それぞれの形で、良いお年を。