自分が後々読むための黒歴史特別公開処刑場

ゆらゆら帝国で考え中

大好きなゆらゆら帝国のベーシスト亀川さんが亡くなってしまった。昨日から、ずっとゆら帝を聞いている。

悲しい時もイライラする時も無感情なときも、ゆら帝を耳にぶち込めば気持ちが「かっっっっけーーー」の1つになる。

昨日も変わらない音。変わらず「かっっっっけーーー」となったけど、涙が出た。

 

ただただゆら帝をこの目で見たことのある人生でありたかった。

 

---------

 

昨日の夜のショックで朝の5時までただただゆら帝を聴きあさり、今はしっかり寝不足。

友達と2杯だけ飲んですぐ解散した。

家までお酒を飲みながら「ひとりぼっちの人工衛星」を聞いてポツポツいろいろ考えた。ゆらゆら帝国で考え中。

 

 

恋人という存在と全てを分かり合う必要はないこと。どんな時間も一緒にいたいと思えるわけではないこと。

 

死ぬまで味方だと確信していた親友にも理解できないことはあること。どんな時間も一緒にいたいと思えるわけではないこと。

 

衝突や違和感をほとんど感じないような他者が居ないとは経験上言い切れないこと。そもそもそんな経験が今のところないこと。現状の到達地点ではまだ経験してきた人間関係が少ないのかもしれないこと。

 

ただ生きるだけの金(税金/家賃/食費)を稼ぐ時間を全て解放したらどう時間を使ってやろうか。

 

孤独感は楽観的に捉えることも可能なこと。そしてそう捉えることができた時の幸福度はかなり高いこと。

 

友達が少なくても意外と寂しくないこと。

誰も私に注目していなくたって寂しくないこと。

 

どうしても均一に過ぎ去る時間や世間のマジョリティに圧力を感じて生きることは何の意味も為さないこと。

 

心に余裕があることが最強であること。そのためには時間と金をうまく運用する必要があること。

 

自分か自分以外かのところにくっきりと境界線が引かれるような心境になると

物理的に0距離の人間も、10年以上付き合い続けてる秘密のない経過年数の長い人間も、生命体として血の繋がりがある神秘的な人間も、すごく遠く遠く距離を感じる。離してしまう

 

こういう時に1番近くにいてくれるのは自分の手の内の現実世界ではなくて、音楽なんだ。たった今目の前で鳴らされてる音でもなく、何ならとっくの昔に解散した、何ならもうこの世にいないメンバーもいるバンドの、90年代にリリースされた、録音されて、加工されて、サブスクで流されて誰もがいつでも聞けちゃう「音の塊」が1番私の近くで寄り添ってくれる存在なんだ...

 

この音の持ち主、ミュージシャンは私のこと認識してないからこちらからの一方的な共鳴に留まるけど、それでも1番近いんだ、それだから近いのかな。

 

こうやって小さな世界で同じような生活の中と同じような心の波の中で、同じことをぐるぐる考えて、言葉を変えながらいつも同じことに気づいては忘れてる。滑稽だろうな。

生きてくぞ。

 

‎ひとりぼっちの人工衛星 - ゆらゆら帝国の曲 - Apple Music