自分が後々読むための黒歴史特別公開処刑場

考えすぎてるようで単純すぎる思考回路

世界は広い・いろんな人が居る、ということを日々仕事で感じていると世界をどんどん広げたくて平凡・日常に固執する意味を考え始める。

でも結局人間関係を「広める」のか「深める」のかどちらに時間を割くか選ぶしかない。

人生は有限で、頑張ってもどうせあと60年くらいしか無いので。

 

この有限が終わりを迎える時、「私は全て正しかった!」と80年間の全てにおいて1つも後悔しないために、この定めをどう噛み砕けば納得のいく選択をしながら老いていけるのか家に帰る電車でずっと考えていた。

 

関係を深めたいと思える他人は「味方」である。その彼・彼女達が自分の味方だと気づくまでには「敵」の存在がある。

世界をザッと見て得た「深めたいと思えない人」によって負う心の傷・反感を「深めたい人」で癒し・共有するのが全人間のシンプルな生き方なのかなと思った。大して刺激のない日常に固執する意味はコレか?居心地の良さを感じる為には居心地の悪さを感じる関係が必須となる。

そもそもそれは人間関係だけじゃなかった。

人も感情も場所も環境も音も味も全部「悪い」があって「好き」に気づく。「月火水木」があるから「華金」という言葉があるように。

 

「何もしたくない」と平穏を求めたと思えば「刺激が足りない」とほざく。人間みんな人生が足りていない。よく思う。

 

(......話が逸れてる。)

 

こんなことを考え始めた要因はと言うと、

私はもともと井の中の蛙で良かった。小さい世界で小さい幸せを世界一だと勘違いしたまま死ねれば、私が納得しているならばそれで良いと思っていた。

のに、「本当にそれでいいの?」「あと60年勘違いできる?」「勘違いって分かってるじゃん」このへんの感情が要因だ。

 

きっと元々存在してた潜在意識が顕在意識として現れてきた。「もっともっともっとたくさんの人に出会いたい!」と。

 

そりゃ出会えばいいさ。不満も満足も数を増やせばいい。

ただ心のどこかで自分に「満足」を与え得る人間を増やすことに恐れがある。それは「狭く深く」生きてきた今までの私の「広く浅い世界」への反抗だと思う。浅はかで軽薄な人になりたくはない。

 

つらつらつらつらとまとまんねぇなあ!!!

何が言いたいって、どっち選べばいいのか分かんねえってこった!!!てか多分解決できないんだろうな!!!人は死ぬもん

 

いや待てよ。長さが変われば図形の大きさは変わるけど、密度を変えないためには内容を補うことが必要だ。なんだ、いいのか別に世界広げたって!て言うか広げるべきじゃん。

 

 

 

何だ、考えすぎだ。また考えすぎた。

 

 

 

さて。

この思考に至った本当の理由が「今日の仕事先の担当者がマジでクソハイスペックな超イケメンで本気でトキめいて今日一日仕事にならなかったから」です。草。

 

人生が足りないと感じる大きな理由は恋愛はひとりひとつってルールがあるからだよ。

仕事の待ち合わせのために貰った電話番号に本能のまま電話ができないからだよ。

 

人生の長さで悩んでもしょうがないや。足りないと感じるのは長さじゃなくて数だった。

 

私は全然みんなよりアホバカ女です!

 

 

仕事始まって世界広まってから、もっともっと深めたい人がいっぱいいて困っちゃう最近。

 

 

んー!でも明日のデートどこ行くか一生懸命調べてたら簡単に井戸のかえるちゃんに戻った!

ほーんと単純だねぇ。幸せになれよ、私